Here We Go!!
ペリオン

 寒さに身震いして、九十朗は目を覚ました。
 鼻の頭が酷く冷たい。この街にある宿屋では、客は毛布に包まって地面に雑魚寝である。文句を言いたいが、街の人間も大体はそういうものだとなると黙るしかなかった。
 一夜を過ごしたテントのような建物の、入り口にかけられた分厚い布の隙間から、淡い光が漏れてきていた。
 毛布を身体に巻きつけ、そっと外に出る。
 眼下には、白い霧が渦を巻いていた。夜明けの、鍛えた鋼のような光が、それに反射して不規則に煌いている。
 柄にもなく荘厳さを感じて、じっとそのゆるやかな動きを眺めていると、背後に微かな気配を感じた。
 同じように毛布を肩にかけた、不機嫌そうな顔をした兄が立っている。
「おはよ、次郎」
「……ああ」
 朝が弱い次郎五郎は、ぶっきらぼうに返事を返してくる。それでもこんな早朝に起きだしてくるのは、やはり彼も気が急いているからだろう。

 聖なる山の中腹にある、戦士たちの街、ペリオン。
 それは街の名であり、山の名であり、民の名であり、世界の名であった。



 大陸で活動する冒険者には、大きく分けて四つの職業がある。
 盗賊、弓士、魔法使い、戦士。
 一定の経験を積んだ冒険者は、その頂点に立つ者に認められれば、職業を得ることができる。
 勿論、何の職業にも就かずにいることもできる。だがそういう者に比べると装備や攻撃手段において優遇されるので、大抵の者は職に就く方を選ぶ。
 次郎五郎と九十朗も、職に就くために、ここへ来たのだ。
 戦士の聖殿、と呼ばれる、長老の館の薄暗い廊下を進む。
 彼らを先導する男は、実に手馴れた様子で槍を手にしていた。その石突をぼんやりと見ていた次郎五郎は、それが不意に動きを変えたのに視線を上げた。男は立ち止まり、とん、と槍を床に突き立てた。腕に嵌めこんでいる、無数の細い金属の腕輪が、しゃらん、と音を立てる。
 長老のいる広間に着いたのだ。
 謁見できるのは、一度に一人だけだと聞いている。無言の催促に、次郎五郎は弟にちらりと視線を向けると、大きな扉に手をかけた。

 謁見の間には、大きな篝火が焚かれていた。
 岩山をくりぬいて作られているのだろう、広さはさほどでもない。だが、天井は闇の向こうに沈んでいる。
「そなたが戦士になるのか……?」
 低い声が降ってきて、次郎五郎は頭上の闇を見上げた。


 巨大な扉が開いて、銀髪の少年が出てきた。冷たい壁にもたれて立っていた九十朗が、身軽に身体を起こし、数歩駆け寄る。
 が、彼は兄の手前で足を止めた。
「何かあった? 次郎」
 いや、と兄の唇が動いた。薄暗いせいなのか、酷く血色が悪い。
「早く行け。……表に出ている」
 軽く手を振って促すと、次郎五郎は踵を返して廊下を進んでいった。

 兄の態度に首を傾げながら、九十朗は謁見の間に足を踏み入れた。
 赤々と燃える篝火に照らされた室内をぐるりと見回す。
「……ほぅ、兄弟か」
 ぱっ、と顔を上げる。部屋の奥、床から五メートルほど上のところに設えられた壇上に、男が一人座っていた。
 おそらくは、彼がこの街の長老。〈コブシを開いて立て〉と呼ばれる男だ。
 現地語の名前は、土地の者でなければ発音できない。下界の人間が使う言葉に翻訳すると、かなり意味が曖昧になってしまうらしい。
「ああ。よく判ったなぁ」
 九十朗が頷くのに、長老は苦笑したようだった。
 確かに、この二人の少年はあまり似ていない。一目で血縁だと見抜く者は珍しかった。
「伊達に何十年も長老をやっているわけではないさ。……しかし、そなたの方は戦士に向いていそうだな」
 九十朗は、その言い回しに敏感に反応した。
「次郎は……、兄貴は、戦士に向いてないっていうのか?」
 長老の気配が、僅かに怯んだ。その機を逃さずに、吠える。
「兄貴に何を言った!」
「それはそなたの兄の問題だ」
 ほんの一呼吸で、長老は先ほどまでとはうってかわった冷たい声を発した。九十朗が、知らず、僅かに身体を竦ませる。
「心配せずとも、そなたの兄は既に〈戦士〉となっている。そなたも、そのためにここへ来たのであろうが」
 渋々、九十朗は構えを解いた。満足そうに、長老は続ける。
「これより、そなたを〈戦士〉としてこの聖殿に名を連ねる者とする。異存はないな?」

 薄暗い廊下を、小走りに進む。
 ほんの数十分ほど前にこの廊下を奥へと向かっていた時とは、自分の力に雲泥の差があることを、九十朗は自覚していた。
 早速、何かで試してみたくてうずうずする。
 幾度目になるか、長老が最後に言った言葉を頭の中で反芻させる。
 −−これで、ペリオンが〈戦士〉としてのそなたの故郷となる。故郷に恥じるような生き様をせぬように。
「故郷、か」
 へへ、と照れくさそうに笑うと、九十朗は大扉を開いた。薄曇の外の光は、それでも酷く眩しい。
 手庇を作って、周囲を見渡す。
 斜面に構築された街は、階段状に整備されている。〈戦士の聖殿〉から少し離れた場所で、段鼻の部分に銀髪の少年が腰掛けていた。
「次郎!」
 弟の声に、視線を向ける。嬉しそうに駆け寄ってくるのに、立ち上がった。
「終わったか」
 静かに言葉をかけてくる兄は、もう普段と変わらない。
「ああ。これからどうする? まだ昼前だよな」
 空を見上げ、時間を見極めようとする。
「とりあえず、装備を整えよう。それから情報収集だ」


 この街では、基本的に女性は外へ出ない。そのためか、ソフィアが店員として働いている雑貨屋はいつも人で賑わっていた。尤も、店主が父親では不埒な真似をするような輩は、そういないのだが。
 彼女は、肌の色も服装も、この街の他の人々とは違う。母親に似たのだろうか。
 みるからに排他的な環境で一体どんなドラマがあったのか気にはなるが、それはまた別の話だ。
 まだ幼い二人の少年の話を聞いて、ソフィアは小首を傾げた。
「ちょっと、それだけじゃどんな人か確認できないわねぇ……」
 ただ質問だけをするのは気が引けたのか、傷薬を少し買っていく少年たちをソフィアは呼び止めた。
「その、探してる人って、強い人なの?」
「ああ」
 短く、しかし自信を持った答えが返ってくる。
「じゃあ、あの人に訊いてごらんなさいな」
 小さく微笑んで、ソフィアは口を開いた。

「……街のどっかにいる、っていうのは、漠然としすぎてるな……」
 何度も階段を上り下りして、流石に疲労が溜まってきている。岩壁にもたれ、次郎五郎は片手で汗を拭った。
 一方、九十朗はまだ平気な顔をしている。この弟はかなりタフだ。
「街の半分ぐらいは見たかな」
 背後を振り返り、ざっと記憶を攫う。そんなところだろう。
 探し人に対する情報が少なすぎることは、自分たちでもよく判っている。
 それでも、探しださなくてはならない。
 有効な手段は、足で稼ぐことだ。少しでも手掛かりがあるなら、逃せない。
 殆ど垂直の崖のような斜面を登りきったところに、彼はいた。

「貴方が、マンジ……?」
 一本の刀を抱きしめるようにして、その男は岩の上に胡坐をかいていた。深く被った編笠がその表情を隠している。
 無言の圧力に負けないように、次郎五郎が更に言葉を継ぐ。
「雑貨屋の、ソフィアから話を聞いてきた。貴方が、俺たちの探している人を知っているかもしれないと」
「……知らぬ」
 ソフィアの名前を出したのがよかったのか、男は溜息に乗せて返事を返した。
「まだ何も……」
「過去は捨てた。知己はおらぬ。お前たちの力にはなれん」
 あからさまにあしらおうとするのに、九十朗がむっとする。
「あんたは滅茶苦茶強い戦士だったから、だから強い人をよく知ってるんじゃないか、ってソフィアは言ってた。けど、今のあんたの一体どこが強いんだよ」
 その言葉に、編笠が揺れた。べったりと濃い影に隠れた顔から、鋭い眼光が二人を射抜く。
「……ッ!」
 彼から放たれた凄まじい殺気に、物理的な圧力さえ感じる。倒されそうになるところを、無意識に先ほど買い求めたばかりの剣を抜いた。切っ先をマンジに向けて、それでようやく意識を保っている。
 ふ、とマンジが小さく息をついた。どうやら笑ったらしい。
「お前はまだ戦士としてやっていけそうだ。……そちらの兄とは違ってな」
 鋭く、隣を振り返る。
 次郎五郎は、両肘と両膝を地面についていた。長めの銀髪が乱れ、微かに震えている。顔を伏せているので表情は見えないが、呼吸もままならないようだ。
「そいつは気配に敏感すぎる。魔法使いとして鍛えた方が、まだものになっただろう。……いずれにせよ、この程度で気圧されてるようではお前たちの探す相手に追いつけるとは思えんな」
 視線が逸れた。再び自分たちがマンジの意識から外れたことを悟って、九十朗は片手で強引に兄の身体を掴んだ。そのまま、登ってきた崖を滑り降りる。
 崖の下に着いたときは全身擦り傷だらけだった。できるだけ庇ったものの、それは次郎五郎も変わらないだろう。
 それでも、あの化け物のような男の視界から逃れられた、というだけで安堵する。
「……冗談じゃねぇな……」
 脂汗を拭って、呟く。
 次郎五郎は意識を失っているようだった。が、呼吸は安定している。心配はないだろう。
 ……魔法使いが向いている、か。
 長老が次郎五郎に対して含むところがあるようだったのも、同じようなことか。歴戦の戦士である彼らには、よく判るのかもしれない。
 とにかく、どんな危険な場所でもがむしゃらに突っこんで行く。そういう思いから、彼らは戦士以外に全く選択肢を考えなかったのだ。
 これ以上動く気力もなく、九十朗は大きく息をついた。
 長老の、もう一つの言葉を思い出す。
「故郷っていうには厳しすぎるんじゃねぇのかなぁ……」
 小さくぼやく少年たちを、夕日が照らし出していた。

2005/06/11 マキッシュ