Here We Go!!
スリーピーウッド

 大陸の中心は虚ろである。
 勿論、何もないという訳では決してない。
 言うなれば、そこは巨大なクレーターだった。
 深く沈んだ大地は天まで届かんとする密林に覆われ、その内部は昼なお暗い未踏の地なのだ。
 人という小さな存在は、決してその全てを理解することなどできない。
 恐怖を籠めて、人々はその地をこう呼んだ。
 計り知れない深淵。眠り続ける樹海、スリーピーウッド、と。


「……………次郎」
「何だ」
 滴り落ちる汗を拭って、短く言葉を返す。
 ぬかるみを進み続けるために、足取りは酷く重い。しかも、無秩序にはびこる羊歯や樹木の根が否応なく進みを遅くする。経験したことがないほど湿度が高く、口を開くのも不快だった。
 次郎五郎は剣を仕舞い、鉈を手にして道を切り開いていた。
 この密林に入りこんで、五日。
 手持ちの飲み水は尽きた。湿地帯だというのに、まともな泉も見つからない。尤も、手近な樹には極彩色の果実がたわわになっているために、乾き死にや飢え死には免れそうだ。
 だが、この暑さの中を進むのは、確実に体力を消耗させる。
 疲労で動けなくなるまで、あと何日か。
 不吉な考えを、小さく頭を振って追い払う。
 立ち止まって振り返ると、弟は真摯な表情でこちらを見つめていた。
「俺、思うんだけど。ひょっとして、俺たち、そう」
「言うな!」
 鋭く制されて、九十朗は思わず口をつぐんだ。兄は、暗く沈んだ瞳で、呟く。
「認めたら終わりだ。もう動けなくなる。……進むぞ」
 踵を返し、前方の藪を薙ぎ払う。
 その後ろをついていきながら、九十朗は続けた。
「けど、現実を認識することが大事だって、いつも次郎言ってるじゃないか」
「時と場合によるだろ。そんなこと口に出して、『言霊様』が現実のことにしたらどうする」
「……次郎って、時々妙に迷信深いよな」
 唐突に、次郎五郎が足を止めた。
 体力の消耗を少しでも防ぐために、先頭を進む役はある程度の時間で交代することにしていた。そろそろ代わった方がいいのかもしれない。
 鉈を渡して貰おうと、九十朗が口を開きかける。
「……何か、聞こえないか」
 低く、次郎五郎が呟いた。
 耳を澄ませると、大地に鈍い震動が伝わり、モンスターの断末魔の悲鳴が微かに聞こえた。しかも、一体や二体ではない。
 腰の剣帯に鉈を落としこむと、藪を両手でかき分ける。暑さのために手袋を外していたのが悪かったのか、掌に何か棘が刺さったようだ。九十朗がすぐ隣に並んだ。二人で、無言で密林を突き進む。
 人がいるのだ。おそらく、そんなに遠くないところに。
 思った通り、数分も進むと、木陰から悪態が聞こえてきた。
「この、糞キノコどもが! 姉貴に触るんじゃねぇよ!」
 ざん、と最後の障害物を抜ける。
 そこにいたのは、二人の人間。
 男の方は弓を手にし、女の方は篭手を嵌めた手に手裏剣を構えている。足元には、十数体の茸の姿をしたモンスターが群がっていた。
 向かってくる物音を新手と思ったのか、二人は緊迫した表情を向ける。
 幸い、彼らがいた場所はかなりの広さがあった。剣を振り回しても、木々は邪魔にならないだろう。
 一気に踏みこんで、剣を一閃する。それでモンスターの注意がこちらに向いた。
 その隙に、男女は数メートル後退した。距離をとると、各々の武器をこちらへ撃ちこんでくる。
 ものの一分ほどで、その場は静かになった。
「大丈夫か?」
 軽く剣を振るい、鞘に収めながら問いかける。
「ありがとう。助かったよ」
 男が人なつっこそうな笑顔で答えた。対して、女は無表情で軽く頷いただけだ。
「おれはストロファンツス。あっちが姉のラナンキュラスだ」
 言われてみれば、顔立ちがよく似ている。浮かべている表情は全然違うが。
 ストロファンツスは、淡い青の髪色で、ラナンキュラスは淡い赤毛だ。その辺りが一目で判らない理由か。
「俺は次郎五郎。向こうは九十朗。弟だ」
 こちらも兄弟だと知って、親近感が沸いたらしい。ストロファンツスがまた笑みを浮かべる。
「ちょっと頼みがあるんだが。スリーピーウッドにある、街までの道を教えてくれないか」
 そう頼むと、きょとんとしてこちらを見返してきた。
「構わないけど、覚えてないのか? ひょっとして、二人とも初めて?」
「ああ」
「そりゃ無謀だ! 初めて来るときは、誰かについて道を教えて貰わないと。一度道を外れたら、もう二度と人里には出られないぜ」
「運がよかったな」
 ぽつりと、ラナンキュラスが呟いた。それが、彼女の初めての発言だ。
「いいよ、これからスリーピーウッドに行くところだ。一緒に行こう」
 気軽に同意すると、ストロファンツスは歩き出した。

 おそらく、この姉弟は次郎五郎たちよりも数歳年上、といったぐらいだろう。陽気に話し続ける弟に対し、姉は殆ど無言で進んでいく。
「スリーピーウッドの中の道は、この通り、獣道も同然だ。しばらく誰も通らなかったら、すぐに密林に埋もれちまう。だから、みんなこの道を維持しようと頑張ってる。道から外れなければ、多分迷うことはないよ」
 道を半ば塞いでいた、倒壊した樹の幹を四人で移動させる。さほど太いものではないので、その作業は枝を落とし、幹を転がしていけばすぐに終わった。
「慣れてるみたいだけど、二人はよくここに来るのか?」
 九十朗が尋ねる。
「うん、まあ殆ど居ついてるみたいなもんなんだけどな。おれと姉貴は、トレジャー・ハントで稼いでる」
「トレジャー・ハント?」
 単語を繰り返す。
「太古の四賢者の伝説は知ってるよな?」
「いや」
 次郎五郎が短く返し、九十朗が首を振るのに、ストロファンツスは心底驚いたようだった。
「嘘だろ!? この大陸の創世神話だぜ? 誰でも知ってるもんだろ?」
「生憎、悠長に寝物語をしてくれる保護者には恵まれなかったんでね」
 素っ気なく言った次郎五郎の言葉に、追及するのをやめたらしい。
「じゃ、ざっと話すな。この大陸には、元々こんな密林はなかった。ここにあったのは、とてつもない大都市だ。モンスターも存在せず、人々は平和を享受していた。だが、その平和は唐突に破られた。侵略者がやってきたんだ。意訳しかできないが、『暗黒に包まれたバルログの長』と呼ばれている」
「バルログ?」
 ざわり、と鳥肌が立つ。
 それは、大陸で最大最悪のモンスターの名だ。
「そう。そいつは、地中からやってきた。大量のモンスターを引き連れて。この大陸の真ん中を貫き、都市を破壊し、人々を虐殺した。このクレーター状の地形は、そのときの名残らしい」
 道は、蔦に覆われた石塔のすぐ横を通っていた。何となく、それをまじまじと見上げる。
「当時大陸を統治していたのは、四賢者と呼ばれる四人の人物だ。彼らは、生き残った人々を当時荒野だった都市の外へと逃がし、都市の中にモンスターの大半を封じこめることに成功した。スリーピーウッドには、果てがないほど深い地下迷宮があって、そこには封じこめられた凄まじい化物が、今でも怒りに爪を研いでるらしい」
 聞き手が怖がるのを期待していたのか、ストロファンツスはにやりと笑う。が、二人は残念ながらその程度で怖がるような柔な神経はしていない。聞かせ甲斐がない、とぶつぶつ文句を言って、彼は続けた。
「四賢者は、その後大陸に四都市を形成して、スリーピーウッドを封印しているという。ま、この辺は結構諸説あって、初代の四賢者は今もこのスリーピーウッドでモンスターから人々を護ってる、とか言われてもいるな。……で、おれたちはこの遺跡の調査をしてる訳さ。今はカニングシティまで物資の補給に行った帰りだ」
「スリーピーウッドにも、街はあるんじゃないのか?」
 九十朗がちょっと疑問に思い、訊く。
「スリーピーウッドは慢性的な物不足だ。あそこで売ってるものは、他に比べればかなり高い」
 ラナンキュラスが静かに答えた。
「それに、どうせ手に入れたものを売りに行かなきゃいけなかったしな」
 ストロファンツスがつけ加えた。
 その後は、彼らの体験談をあからさまに脚色し、面白おかしく語りだした。
 冒険者というものは、大体、己の体一つでのし上がろう、と思っている者たちである。
 目をぎらぎらと光らせ、技を磨く者は多く見てきたが、彼らのように、危険に飛びこむことすら楽しんでいるような冒険者は初めてだった。
 数時間は歩いていただろうか。ふと、先に立っていた姉弟が足を止めた。
「ほら。あれがスリーピーウッドだ」
 立ち止まった場所から先は、今まで以上に大きく道が切り開かれていた。眼下を指差す先には、密林に飲みこまれた巨大な遺跡がある。その、僅かな一角のみが、蔦や樹木を切り払われ、居住可能な地域になっていた。
 人の力の小ささを、思い知らされる。
 ここは、そういう場所だ。

 街へ入り、周囲を見渡す。
 建物はほんの数軒しかない。人影も疎らで、通常、城門の近くにある露店の類は全く出ていなかった。
「ここにある、冒険者が利用できる建物は、ちっぽけなホテルが一つだけだ。必要な買い物もその中でできる。だが、恐ろしく高いぞ」
「とりあえず寝床かな。せめて一晩ぐらいは野宿を中断したい」
 頷いて、ストロファンツスは一つの建物に足を向けた。
 フロントにいる女性に声をかけ、部屋を取る。
「後で食事でも一緒にしようぜ」
 ストロファンツスがそう誘ってくるのを快諾して、二人は部屋へ入った。
 殺風景な部屋だ。ベッドは、木で組んだ枠に縄が渡してあり、その上にシーツが敷いてある程度でしかない。
 それでも、ぬかるみの中で何とか休める場所を探していた昨日までに比べれば、文句を言うべくもない。兄弟は、無言でしばらくベッドに横になっていた。
「……ここはハズレかもな」
 ぼそり、と次郎五郎が言う。
「何で?」
 ぎし、とベッドを軋ませ、九十朗が上体を起こした。
「住んでいる人間が少なすぎる。冒険者たちは、おそらく移動が激しいだろう。もしもあの人がここに来ていたとしても、そのときにいた人間はもうどこかへ行っている」
「あの二人は? 殆ど居ついているって言ってただろ」
「可能性が高いか……」
 次郎五郎も身体を起こした。若いだけあって、流石に回復が早い。
 だが、高い気温と湿気で、かなり不快が増している。
「ホテルなんだから風呂ぐらいあるだろ。行ってみよう」
 階下に降り、フロントの女性に声をかける。
「浴場でしたら、スリーピーウッド名物・サウナがございますが」
 にこやかに告げられて、兄弟は口を揃えて言った。
「いや、それはいい」

 サウナの横にあった水風呂に入ってさっぱりした後、二人は街をうろついた。
 思ったとおり、住人と言える人間はほんの数人で、はかばかしい収穫はない。
 ホテルに戻り、酒場に入ってみる。幾つかのテーブルはもう埋まっていた。ぐるりと見回すと、横合いから声をかけられる。
 目立つ髪をした姉弟が手を振るのに近づく。
 既に始めていたらしい。幾つか皿が並んでいる。
 更に料理を追加して、しばらくの間食事に専念する。
 そろそろ、手の動きも鈍ってきた頃に、実は、とストロファンツスが真面目な声を出した。
「お前たちを食事に誘ったのは、ちょっと下心があったんだ」
「下心?」
 その言葉の使い方がおかしくて、次郎五郎が僅かに笑みを浮かべる。
「ああ。この街の地下には、ダンジョンがあるって昼間話しただろ? おれたちは明日から、調査のためにそこへ入る。ダンジョンには、モンスターがかなり多い。そりゃ、おれたちだってそこそこの腕前だし、あまり深く潜らなければ遅れをとることはない」
「目的地が深いのか?」
「いや。そんな深層部には行かない。問題は、モンスターの数なんだ。見ての通り、おれは弓士だし、姉貴はアサシンだ。やつらに囲まれると厄介なんだよ」
 そういえば、二人に初めて会ったときも周囲を囲まれていた。なるほど、と小さく呟く。
「姉貴は一応短剣の心得もあるけど、そんなに使える訳じゃない。だから、いつも数人の冒険者に同行してもらってる。よければ、今回はお前たちに頼みたいんだが」
「何ヶ月もかかるようじゃ困る」
 彼らの事情も判るし、恩もあるが、こちらもあまり無駄にしている時間はない。
 が、ストロファンツスはひらひらと片手を振った。
「そんなにはかからない。目星をつけてる場所を捜索するだけだ。少人数でそんなに物資も持ちこめないから、二日も進んで何もなければ一旦引き返す。往復で長くて五日みてくれればいい」
「……それに、こう言っては悪いが、お前たちは手持ちの補給品も少なくなっているんじゃないか? 同行している間に必要な分は、こちらで提供する。日程が合えば、外の街まで戻るのもつきあおう」
 ラナンキュラスが静かな声で補足する。
 悪くない条件だった。ちらりと九十朗を見ると、不満があるようでもない。
「いいだろう」
 その返事に、ストロファンツスがほっとしたように笑った。


 翌朝、四人はダンジョンへと足を踏み入れた。
 外は、既にむっとした大気に包まれていたが、洞窟の内部は嘘のように気温が低い。尤も湿度は高いのか、壁や床は水に濡れていたが。
「自然の洞窟みたいに見えるな……」
 九十朗の言葉に、ストロファンツスが小さく笑う。
「昨日話したのは伝説だからな。何百年も昔のことだ、本当のところは判らないさ」
「だから、それを調べている」
 ラナンキュラスの手にしたランタンが、周囲を照らしている。足元を確かめる程度でしかないが、安全性はぐんと高まる。歩いている先が突然何メートルも落ちこんでいることが、ざらにあるらしい。しかも、モンスター相手に戦っている冒険者に、間違えて襲われる恐れもない。
 時折遭遇するモンスターを排除しながら、どれだけ進んだのだろうか。姉弟が、足を止めた。
「あそこだ」
 示す先の壁に、小さな穴が開いていた。立って歩けるほどの高さもない。
「こんなところでモンスターに出くわしたら、いくら何でも対応できないぜ」
 九十朗が文句を言う。
「大丈夫だ。前回ちょっとだけ入ってみた。十メートルほど行ったところで、もっと大きな道へ出る。その間にモンスターがいたら、ここまでおびき出せばいい」
「俺が行こう」
 次郎五郎が一歩踏み出す。
「次郎?」
「洞窟には慣れてる。おれか姉貴が行くさ」
「あんたたちは接近戦が苦手だから、俺たちを雇ったんだろ? それでなくても、俺と九十朗の方が体が小さい。この中でも素早く動ける。だけど、九十朗の武器は大剣だ。いざという時、扱いづらいだろ」
 細身の長剣を抜いて、そう説明する。どうやら三人は納得したらしい。
「灯りを借りられるか?」
 ラナンキュラスがランタンを差し出した。
「慎重にね」
 頷いて、次郎五郎は身を屈めた。

 片手にランタンを持ち、片手に剣を持って、更に身を屈めて歩くのはかなりきつい。せめて壁に手を触れて体勢を維持したいところだが、そうもいかない。
 が、ストロファンツスが言った通り、すぐに出口についた。身を捻って、背後に声をかける。
「いいぞ。今のところ、何もいない」
「判った。これから行く」
「灯りを返そうか?」
「いや、すぐ行くから平気だ。ただ、出口近くを照らしておいてくれ」
 言われた通り、二つの洞窟が合流するところに立つ。数十秒で、ラナンキュラスが姿を見せた。次いでストロファンツスと九十朗もやってくる。
 九十朗が、ぐるりと周囲を見回した。
「ここは……」
 その場所は、今まで進んでいた洞窟とは全く異なっていた。
 一辺が五メートルほどある、ほぼ正方形の通路。壁には石が積まれており、等間隔で柱も立っている。
「これが、伝説の都市だ。スリーピーウッドには、こうした地下通路が数多く設置されていたらしい。先刻の洞窟ができて地盤が緩んだせいなのか、かなりの数が塞がれてるけどな」
 説明して、ストロファンツスが右手を指した。
「前回進んでみたんだが、向こう側は、どこにも出ないまま土砂に塞がれてた。発掘するには、かなりの人数と日数、資金が必要だ。今回は反対側を捜索してみる。めぼしいものが出たら、後ろ盾ができるかもしれないんだ」
 嬉しそうに、そう告げる。
「じゃあ、行くか」
 剣を鞘に収め、次郎五郎が歩きだした。九十朗が隣に並ぶ。
 時折、ラナンキュラスが足を止め、周囲を調べては手にした石盤に何か書きこんでいる。それも手慣れているらしく、さほど待たされることもない。
 ひたすら一本道の通路を進み続け。
 次郎五郎と九十朗が、初めて自ら足を止めた。
 前方に、何かが蠢く気配がする。
「俺たちが突っこんだら、灯りを強くしてくれ」
 次郎五郎が囁きながら、後ろ手にランタンを渡す。そして、鞘鳴りを極力抑えて剣を抜き放った。
 あまり光が強いと、却って近づいてくるモンスターもいる。知能が高く、光がある場所には人間という獲物がいると知っている奴らだ。
 だから今までは極力光を絞っていたのだが、いざ戦闘となるとそうもいかない。
 弟と並んで、素早く距離を詰める。背後で、微かに金属音がした。ランタンの周囲を覆っていた板を全部引き上げたのだ。
 光に照らされ、眼前に現れたのは、奇妙なモンスターだった。蛇のような細長い体に、数本の足が生えている。そして、顔の中心にある、大きな一つだけの瞳。
 敵は通路一面にひしめいていたが、暗闇に突如出現した光に度肝を抜かれ、右往左往している。そこへ兄弟二人は走りこみ、確実に相手を屠っていった。
 背後から、手裏剣や矢が降り注ぐ。腕がいいのは確かだろう、それは先行している二人に当たることはなかった。
 だが、数が多い。できるだけ食い止めてはいるが、数匹、彼らを出し抜いて背後の姉弟に向かっていくものがいた。
 焦って、背後を振り向きかけたその時。
「翔べっ!」
 鋭い声と共に、視界が赤く染まった。

 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
 感じたのは、激しい熱と衝撃。露出していた肌はちりちりと灼け、身体が壁に叩きつけられる。脳髄を鷲摑みにされたような感覚に、意識が途切れそうになった。そしてようやく聞こえる、轟音。
「……………殺す気かぁあああああっ!」
 九十朗は、ストロファンツスの胸倉を掴み上げて怒鳴った。無造作にモンスターの群れへファイアボムを撃ちこんだ男は、きょとん、として相手を見つめている。
「……あ。ごめん。姉貴はいつも避けてたから、つい」
「〈俊足〉を体得してるアサシンと戦士を比べんな! 本気で死ぬかと思ったぞ! 暗い川の向こう側に花畑があるのまで見えたわ!」
 弟二人が揉めている間に、ラナンキュラスと、何とか持ちこたえた次郎五郎が、気絶したモンスターを処理していった。
 最後の一体を切り裂いて、次郎五郎は溜息をついた。まだ、頭の中が痺れている感覚がする。
 床においていたランタンを手にとって、ラナンキュラスが近づいてきた。
 モンスターがいた奥に、巨大な扉が出現していた。
「ストロファンツス」
 振り向きもしないで、ラナンキュラスが呼びつける。
「開けろ」
 男は、まだくってかかっていた九十朗を何とか引き離し、こちらへ近づいてくる。通り過ぎざまに、ごめんな、と困ったように謝られて、苦笑した。
 ぶつぶつ文句をいいつつ、九十朗が戻ってきた。
「なあ」
「ん?」
「お前が見たっていう、その川の向こう側には、あの人はいたか?」
 まじまじと兄を見詰める。相手は、扉の前で作業している二人を見つめていたが。
「いや」
 短く返ってきた返事に、次郎五郎は肩の力を抜いた。
「そうか。……じゃあ、まだ生きてるな」
「死んでる訳ないだろ! 次郎、まさかそんなこと考えてたのかよ」
「そうじゃないさ」
 ようやく顔を向けると、宥めるような笑みを浮かべる。
「開いた!」
 扉にかかっている鍵に苦戦していたストロファンツスが歓声を上げる。無言で弟を促して、そちらへ足を踏み出した。
「……お前に見えたのは、花畑だったんだな」
「次郎?」
 小さく呟かれた言葉に訊き返すが、次郎五郎はそれを流した。

 扉の向こう側は、同じような通路が続いていた。
 だが、重要度は明らかに奥の方が高かったらしい。
 扉を抜けて、一時間もしないうちに、二つの罠が発動した。
 一つは、天井から降り注ぐ毒矢。もう一つは、床が崩れ落ち、ぽっかりと開いた穴の底には無数の金属の槍が林立しているというものだった。
 そうして、今、更なる罠に陥っている。
 真っ直ぐに続く通路を、ひたすら疾走する四人。
 その背後からは、直径約五メートルほどの巨大な岩が、後を追うように転がってきていた。
「あれだろ! お前のせいだろ、ストロファンツス! 先刻お前がちょっと壁に寄りかかった時に、がこんって音がしてたぞ!」
 九十朗が、走りながら非難する。
「いやあ、ほら、発動条件なんてどこにでも転がってるんだよ、こういう遺跡は。誰がきっかけになってもおかしくないって。うん、偶然偶然」
「ごまかすな!」
 首を捻って、背後を向きながら怒鳴る。
 四人の先頭を走っているのは、九十朗。それとほぼ並んでラナンキュラスがいた。流石は盗賊というところか。
 それからやや遅れて、次郎五郎とストロファンツスが走る。
「この短時間で三種類のトラップか……。目的地は近いかもしれないな」
 ラナンキュラスが冷静な顔で呟く。
「何でこんな時にメモなんて取ってるんだ!」
 九十朗のツッコミにも動じない。
「誰か、この通路が傾斜してたことに気づいていたか?」
「扉を抜けて、何メートルかしてからだな。ちょっとだけ、爪先にかかる重さが変わったようだ」
 次郎五郎が静かにコメントを返した。
「なら、今の深度は一概には出せないな……。後日きちんと計測する必要があるか」
「あああああああ」
 走りながら、九十朗は器用に頭を抱えた。
 確かに傾斜は気づくか気づかないかという程度のものだ。背後からくる岩も、そう大したスピードではない。走り続けてさえいれば追いつかれないだろう。ラナンキュラスの〈俊足〉−−通称〈ヘイスト〉と呼ばれる、移動速度を上げる技を使用しているせいもある。
 だが、いつまでもそれをかけ続けられる訳ではないし、走り続ける時間にも限度がある。第一、どこまでこの通路が続いているのかも判らない。
 九十朗の焦りも、そう的外れではない。
 打開策が必要だ。
 そんな時、ふいに空気の流れが変わったのを感じて、先行組が同時に叫んだ。
「右だ!」
 素早く視線を流したストロファンツスが、右の壁に窪みがあるのを認める。前の二人は既に通り過ぎているが、遅れていた二人ならまだ間に合う。
 咄嗟に次郎五郎の腕を引いて、ストロファンツスはその窪みに飛びこんだ。
「九……ッ!」
 反射的に通路へ戻ろうとする小さな身体を押し留めて、水色の髪の男は片手で窪みの壁にあったものを鷲摑んだ。それを一気に、地面近くまで引っ張り下ろす。鋭い金属音が、空気を裂いた。
 目の前の通路を岩が通り過ぎ、そして。
 立て続けに、何か巨大な質量のものがぶつかりあった。
 ストロファンツスは次郎五郎の頭部を庇うように覆いかぶさっていた。その上に、天井からぱらぱらと石の欠片や土埃が落下する。
「何をするんだ!」
 耳元で怒鳴られて、眉を寄せる。怒りを孕んだ瞳が睨め上げてきた。
「何、って……」
「離せ! 九十朗が……」
 少年が抜け出そうともがくのに、ストロファンツスは珍しく真顔になった。
「あのな。ちょっとは人を信用しろよ。おれたちはプロだ。こんなトラップなんて、数え切れないほどくぐってきた。解除するパターンは判ってる」
 次郎五郎が、戸惑ったような表情になったのを認めて、ようやくストロファンツスは腕の力を抜いた。
「今みたいなトラップには、ところどころにこういう避難所があるんだよ。で、その中には必ず対応策がある。……ほら」
 示す先に視線を向ける。
 壁にあったのは、鷹を象った燭台だった。勿論、灯りが灯っているわけではない。鷹の両足の辺りから鎖が伸び、床に落ちている棒のようなものに繋がっている。よく見ると、それは燃える槍を象っているようだ。おそらく、鷹が摑んでいたのだろう。
「……落盤はもうないな。行くぞ」
 促して、ストロファンツスが通路に戻った。十メートルほど離れた場所に、岩が停止している。隙間から覗いたところ、どうやらその向こう側に壁があるようだ。
「何でこんなとこに壁が……」
「先刻、鎖を引いただろ。上から落ちてきて、この岩を止めるための仕掛けだ。壁に溝がある」
「無事か、次郎!」
 くぐもった声が聞こえてきて、次郎五郎は鋭く顔を上げた。
「九十朗……」
 どうやら向こうは無事らしい。ほっとしていると、ラナンキュラスの声が聞こえた。
「二人ともいいか? 壁の上の方に出入り口用の穴がある。ちょうど真ん中辺りだ。早く来い」
 ランタンを掲げてくれているのか、ぼんやりと天井の辺りが明るく見える。
「判ったよ」
 怒鳴り返して、ストロファンツスが背負っていた荷物を開けた。先に鉤のついたロープの束を引き出す。
 彼は数度それを回転させて、勢いがついたところを投げ上げた。何かに引っかかったような、鈍い音がする。
 ぐん、と引いたところ、外れることもない。暗闇の中での作業だというのに、手慣れている。
「よし、この岩乗り越えるぞ」
 手を差し出してきたストロファンツスに、次郎五郎は逡巡した。
「どうした?」
「いや。……先刻は、ありがとう。手間をかけさせて、すまない」
 表情は伺えなかったが、きっとストロファンツスは笑みを浮かべたのだろう。
「兄弟を心配するってのは、いいことさ」

 岩は思った以上にごつごつしており、足がかりが充分にあった。
 しかし壁に開いた穴は人が通り抜けるのにぎりぎりの大きさで、しかも向こう側には何の足がかりもない。
 ストロファンツスは、登るときに使ったロープを逆にして、するすると降りていったが。
「遅い」
 ラナンキュラスが仁王立ちになって、弟を睨みつけている。
「そうでもないだろ。こんなもんだ」
「そういう問題じゃない」
 苛々と、彼女は親指で背後を示した。
 ランタンの光が届くぎりぎりの距離に、大きな扉が見える。
「お前の出番だ。早くしろ」
 へいへい、と呟いて、ストロファンツスは扉に近づいた。
 間近で一瞥して、その顔が真剣になる。
「こりゃ、本命に近いな。ちょっとかかるぜ」
 頷いて、ラナンキュラスは手近な壁にもたれて腰を下ろした。次郎五郎と九十朗もそれに倣う。
 小一時間程度経過した頃か。ストロファンツスが小さく歓声を上げた。
「できたか?」
 まるで眠っているかのように微動だにしなかったラナンキュラスが顔を上げる。
「ああ。どうする? そろそろ夜になる頃だろう。扉を開けるのは明日にするか、それとも先へ行くか?」
「行こう。様子だけでも見ておきたい」
 頷いて、ストロファンツスはぴたりと背を扉につけた。
 正面に、剣を構えた次郎五郎と九十朗が立つ。もしも、扉の向こう側から何か敵意あるものが姿を見せても、これで対応できるだろう。
 ゆっくりと、男は扉を押し開けた。

 むっとした空気が、体を包む。
 そこは広大な空間だった。
 左右に延びる高い壁は、その半ばで破壊されたかのような残骸を晒している。天井はなく、群青色の空に星が幾つか瞬いていた。
「地下の……神殿の一つか?」
 ぽかんとしている兄弟には構わず、ストロファンツスは小さく呟いた。ラナンキュラスは、壁際にさっさと荷物を置いている。
「ざっと歩測してくる。目印に火を熾しておいてくれ」
「ああ」
 ストロファンツスに促されて、三人は薪になりそうなものを集め始めた。
 壁のすぐ外側には木々が密集している。そのため、床の上には折れた枝がごろごろしていたし、焚付けに使えそうな木の葉や枯れた蔦は壁際に吹き溜まっていた。
「何なんだ、ここ?」
 両手に枝を抱えて、九十朗が尋ねる。
「建物の地下に作られていた部屋だな。普通の地下室にしては大きすぎるから、何らかの公共的な目的に使われてたんだろう。地上部分が、過去に何らかの原因で失われて、地下だけがこうして残ったんだ」
「だけど、それじゃ地下室なんて埋まってしまうんじゃないか?」
 次郎五郎が、思いついた疑問を口にする。
「そうだ。だが、ここは今は荒れているけど、上が破壊された当時はほぼ無傷で残ってたと思われる。……つまり」
 ストロファンツスが言葉を切って、頭上を見上げた。夜空を切り取るように、濃い木々の影が揺れている。
「地上にあった建物を、一瞬で、全て消し去るような破壊を行ったということだ」
 ざわ、と背筋が粟立つ。
「……そんなこと、できるのか?」
「何が可能で何が不可能かだなんて、誰にも判りゃしないよ」
 呟いて、ストロファンツスは火を熾しにかかった。

 ラナンキュラスが戻ってくる頃には、簡単な食事も作っていた。それを早々に食べてしまうと、彼女は次に扉の近くの壁を調べ始めた。
「……ん?」
 不審げな声を上げると、ランタンを掲げる。
「何かあったのか?」
 ストロファンツスは寄っていくが、次郎五郎と九十朗は焚火の傍でぼぅっとしていた。それなりに疲れてもいるし、あの二人は夜通しでも調査を続けそうな勢いだったからだ。
「……『凶つ星』についての記述があるな」
「『凶つ星』っ!?」
 がば、と次郎五郎が立ち上がる。
「ど……どうした?」
 その勢いに気圧されたか、ストロファンツスがやや身体を引く。
「何で、あんたたちが『凶つ星』を知ってる?」
「何で、って……。遺跡の調査をしてる人間で、『凶つ星』を知らない奴なんていないさ。例の、『暗黒に包まれたバルログの長』による地上侵攻が行われる前に、先触れのように幾つも彗星が流れた。凶兆の象徴として、それを『凶つ星』と呼んでるんだ」
「……なんだ……」
 小さく呟いて、次郎五郎は力なく座りこんだ。
 その姿が気になったか、ストロファンツスは近づいてこようとした。
「……っ!」
 が、姉が鋭く息を飲むのに、振り向く。
 ランタンの光に照らされたその横顔は、みるみる怒りに染まっていた。
「あ……姉貴……?」
 恐る恐る声をかける弟を見もしないで、彼女はランタンを突き出した。ストロファンツスが慌てて受け取り、闇の中へ足音荒く去っていく姉を呆然として見送る。
「……何があったんだ……?」
 呆気に取られている三人の耳に、声を限りに罵るラナンキュラスの声が聞こえる。
 首を傾げ、ストロファンツスはランタンを掲げ持った。
 壁が照らし出される。
 複雑な文字と絵とが、レリーフ状に彫られていた。その文字は、現在大陸で使われているものとは全く異なっている。
 そして、それらの上に、現れたもの。

 凶津星 参上!

 壁には、黒々とした塗料で、そう書き綴ってあったのだ。
「……………あーあ」
 これは、怒る。
 そっと、ラナンキュラスが姿を消した方を伺う。
「次郎?」
 九十朗が、訝しげに尋ねる。
 次郎五郎は、身体を震わせて笑いを堪えていた。
 ……まったく、あの人らしい。
「どうかしたのか、次郎」
 心配そうに覗きこんでくる弟に、笑みを向ける。
「何でもない。後で話すよ」
 少なくとも、この姉弟の耳がない場所で。
 先ほどの怒りっぷりからみて、この落書きをした者が自分たちに関わりがある者かもしれないとなると、どんなとばっちりが来るかしれなかった。
 憮然としたラナンキュラスが戻ってくる。少しは冷静さを取り戻したらしいが、憮然とした表情は崩していない。
「どう思う、愚弟」
「いや愚弟て」
 小さく呟いたが、姉の厳しい視線に肩を竦める。
「……ちょっと見てみたけど、水溶性の塗料だな。慎重に洗えば、破損もなく元に戻るよ。書かれたのは、多分前回の雨季よりも前だから、半年以内か」
「よし。この部屋の中央辺りに、泉が湧いている。明日の朝一番に、お前たち三人でこれを洗い流せ。私は今日は寝る」
「了解」
 反論できない口調に、次郎五郎がおどけて敬礼する。
 相手はじろりとそれを睨みつけたが、それ以上は何も言ってこなかった。

2005/06/22 マキッシュ