Here We Go!!
船着場→

 今、次郎五郎とアルウェンがいる場所は、エリニアの大樹の中腹ぐらいの高さだ。周囲の森に茂る木々の先と、目線はさほど変わらない。
 それよりもなお高く、その物体は存在した。
 全体の形は丸めの雫形で、緑色がかっている。光を透過するらしく、月がそれを透かして見えた。
 あれだけの高さがあるなら、地面についている面積も相当広いはずだ。それだけの空き地はエリニアにはそうそうない。
 視線の先で、その物体がぐるりと半回転した。つぶらな瞳が現れ、エリニアの街を見下ろしてくる。
「……スルラ……?」
 掠れた声で、アルウェンが呟いた。
「昔話で、分裂しないまま巨大化したスルラがいた、って聞いたことはあるけど、まさか……」
「一体何匹分なんだ」
 呆れたように次郎五郎が零した。
 遠くで、何かが折れる音がする。
「森が破壊されてるんだわ」
 少女の顔色が青褪める。
 次郎五郎がそっと立ち上がった。
「街の中なら、守護魔法が効いている。まだ安全だろう。絶対に外に出るんじゃない」
「次郎!」
 声を上げるが、制止できる筈もない。
 ただ、アルウェンは青年の姿を見上げた。
「ああ、別に行かんでもええで。次郎」
 横合いから、呑気な声が聞こえてくるまでは。

 ふらりと黒衣の男が街路を降りてくる。
「四郎様」
 戸惑って、次郎五郎がその名を呼んだ。
「ここには魔法使いがダース単位でおるしな。他にも滞在中の冒険者も多いやろ。お前らが出て行かんでも、充分対応できる」
 ほら、と示した先で、数人の魔法使いが駆け下りて行った。耳を澄ませば、ざわざわと街中が騒がしい。
「しかし……」
 気遣わしげに、視線を巨大スルラへと向ける。
「ワシらが出しゃばって、あんまりハインズの顔を潰したるんも悪いからな。強さで言えば、この間お前らがアムホストで戦ったヤツと大差ない。ちょっとでかいけど、そう変わらんやろ。お前らほどの実力がなくても、数もおるし、まあ小一時間あれば退治できる筈や」
 肩を竦めてそう言われ、ようやく次郎五郎は頷いた。
「ん。ところで、九十朗はどうした? もう行ってもうたんか?」
 周囲を見回しながら尋ねられる。
「いえ、九十朗は先に宿に向かっていて」
 宿まではここから一本道だ。彼が出てきたら、判らない筈がない。まだ部屋にいるのだろう。
「ふぅん。ちょっと様子を見てくるわ。じゃあ、遠慮なくいちゃいちゃしててくれ」
 通り過ぎざまに、軽く片手を挙げられた。
「い……っ!」
 次郎五郎が絶句する。慌てて、アルウェンが手を振った。
「あ、いえ、私の用事はもう終わりましたので。そろそろ失礼しますわ。……じゃあ、次郎。気をつけて」
 ひらりと身を翻し、街路を降りていく。それを数秒だけ見送って、次郎五郎も宿へと足を向けた。
「別に気ぃ使わんでええのに」
 口の端だけで笑いながら、養父がそう告げる。
「からかわないでください。……そんなんじゃ、ないんです」
 僅かに声を低めた。
 そんなのではない。
 確かに、有無を問われれば、彼女に対して好意を持っていることは認められる。だが、違うのだ。
 四郎からの視線を受け流す。少しばかりの苦さを噛みしめながら。

 九十朗は、ベッドに横になっていた。鎧は外しているが、鎧下は着たままだ。
「疲れとったんかな……」
 四郎が囁く。が、次郎五郎は違和感を拭えない。
 街の騒ぎは、室内ではあまり聞こえない。眠っていてそれに気づかないのは、ありえる話だろう。
 だが、九十朗がドアを開けた時の音で起きなかったことはない。少なくとも、多少意識を浮上させることは確実だ。
 次郎五郎が近づき、そっと肩に手をかけた。
「九十朗?」
 軽く揺すってみるが、その瞼はぴくりともしない。
 流石に四郎も不審に思ったようだ。指先で、ぺちぺちと軽く頬を叩いてみる。
「ぅわっ!?」
 驚いた声を上げて、九十朗が上体を起こした。その反応の大きさに、家族の方もより驚く。
「あ……あれ? 次郎? 四郎様も。……どうかした?」
「いや……。こっちの台詞なんやけど」
「全然起きないから、心配したんだよ。具合でも悪いのか?」
 穏やかに次郎五郎が問いかける。照れたように、弟は小さく笑った。
「大丈夫だよ。相変わらず次郎は心配性だな」
 次郎五郎だけが、その言葉に眉を寄せる。
「あ、そういえば俺の剣……」
 きょろきょろと周囲を眺め渡す。四郎が屈んでいた身体を伸ばした。
「あれか? 鎧のとこに置いてあんで」
 ベッドの足元に近い場所だったため、九十朗からは見えなかったらしい。
「おかしいなぁ。俺、部屋に入ってベッドの上に放り投げた覚えがあるんだけど」
「寝る前に移動させたんを覚えてへんだけちゃうか?」
 さらりと四郎が推測する。きっと、そうなのだろう。
「さ、ほなワシは作業に戻るわ。一時間半してまだ片づいてへんかったら、助太刀するかどうか決めよか」
「助太刀?」
 街の外の事態を知らない弟が、きょとんとして問いかける。その説明は兄に任せ、四郎は部屋を後にした。
 何やら大騒ぎしているのが、漏れ聞こえてはきていたが。

 結局、巨大スルラは予想通りに一時間ほどした頃に消滅していった。



 雨晒しの甲板の上に裸足で立つ。抜き身の剣は、確かにやや重い。
 一見無心で、次郎五郎は剣を振っていた。じわり、と肌に汗が滲む。
 しかし頭の中は色々と考え事が渦巻いている。
 ……剣は無心で振れ、とか言いながら、後はひたすら考えろとかちょっと矛盾しているよなぁ、と師に八つ当たり気味の責任転嫁をしたりもしつつ。

 その様子を、船室の屋根の上で九十朗はぼんやりと眺めていた。日差しは暖かい程度だが、全身鎧は既に熱を孕み始めている。
「邪魔すんで」
 短い言葉が降ってきて、四郎が隣に胡坐をかいた。心持ち場所を譲る。
「……昨日の、お嬢やけど。どうなん、あれ」
「ああ、アルウェンですか?」
 両手に持ったカップのうちの一つを渡される。錫製のマグはよく冷えていて、触れた唇が酷く心地よかった。
「全然、相談も報告もされへんかったからなぁ。やっぱりなさぬ仲なんか……」
「そういうのは、ネタでもやめてくださいよ」
 呆れ気味に、九十朗が制する。
「すまん。でもちょっとしょんぼりしとる」
 四郎が呟いた。まあ、次郎五郎本人に告げなかっただけよしと考える。
「別に、四郎様がどうこうといった理由じゃないですよ。……妖精って種族が、人間の、特に戦士をどう思ってるか、多少は知ってますよね」
「まぁな。……まだ、酷いん?」
「アルウェンも、最初は敵意剥き出しでしたからね。その後、次郎が彼女を救けてやって、ちょっと態度が軟化したんです。それでも人間にしては親しいって感じでしたが。それが、二年前に俺たちがビクトリアに帰ってきて、……まあ、大げさに言えば死にかけてた状態の次郎と再会して、スイッチが入ったってところですか」
 あの時の騒ぎを思い出して、苦笑する。
「あれこれと手を貸してくれて、俺たちは頼る相手もいなかったですから、彼女に甘え過ぎてたのかもしれません。十日ぐらいして、妖精の中でも頭の固い連中が話し合いに来たんですよ」
 それも、熱を出し、意識もはっきりしない状態が多い次郎五郎が一人きりの時を見計らって。
 当時のことを兄はよく覚えていない、と言い張るが、相当のことがあったのだろう。泊まっていた宿の関係者から漏れ聞いたことを思い出すだけで、未だに怒りが腹を灼く。
「そいつら、まさか野放しやないやろうな」
 低く、四郎が尋ねた。
「当たり前じゃないですか。俺が、きっちりシメましたよ」
 九十朗の声も、心なしか低い。
 ちなみに兄は、この時の騒動を九十朗の『手綱が外れた』回数に含めたがっているが、物的被害は殆どなかったので、九十朗はノーカンだと主張している。
「その後、ちょっとばかりささやかな問題になってしまったんですけど。文句をつけに来た奴らが普段からやりすぎだったらしくて、大方の妖精たちからも呆れられてたみたいですね。最後にはマルが仲裁してくれて、俺たちはほぼ無罪放免です。予定を前倒ししてペリオンに移動もしましたし」
「なるほど。それでちょっと、次郎が引け目を感じとるんか」
 あいつは悪くないのになぁ、と四郎が呟いた。どちらかといえば悪い立場の九十朗が苦笑する。
「多分、それほど酷い手段じゃないにせよ、アルウェンの方にも色々あったと思いますよ。でも、あの娘はあれでかなり気が強いですから。あの様子じゃ、気にもしてないんじゃないですか」
 ただ、次郎五郎には、当時考える時間がありすぎた。
 その直前にいた街で、人間と妖精が作り上げた家族の悲劇的な結末を見ていたからかもしれない。
 結局、次郎五郎はアルウェンに対して自制心が働きすぎている。
「でも最終的には、次郎が決めることですからね。俺も時々突っついたりしてますけど」
「投げっ放しか」
 四郎が明るく笑う。
 どちらにせよ、今の状態がひと段落しなくては、何も始まらないのだ。
 この二人にしても、若い男女の関係を話題にしているのは、実際のところ害のない現実逃避に過ぎない。

 もう数時間で、船はオルビスに到着する。


 飛行船は、汽笛を鳴らさずに船着場に着いた。このまま、誰も乗せずにエリニアに帰還する。それが、ハインズの出した条件の一つだ。
 エリニアへの船着場専用の大理石が張られたホールは、豪華ではあるが、今は全く人気がない。そこに、三人の靴音だけが響く。
「まっすぐエルナスヘ向かうんですか?」
 九十朗の問いかけに、四郎が頭を振った。
「いや、ちょっと屋敷に寄って行く。ある程度は物資を補給できるやろ。まあ、一、二時間程度やな」
「……屋敷?」
 ちょっとばかり嫌な思い出が蘇りかけて、次郎五郎が呟く。
「ああ。元々、オルビスには屋敷があったんやけどな。三十年ぐらい前にごたごたして、あまり人を置けへん状態になっとったんや。家の管理にわざわざ[羽根]を常駐させるのも勿体ないから、組織の下っ端に任せてたんやけど。そいつが二年前に問題起こしよってなぁ」
 物憂げに、四郎が溜め息をついた。
「その時に色々調査したら、まあ組織の名前で好き放題してたんが判って。屋敷は完全に封鎖、そいつはきっちり処分した。各所に詫びに行くんが大変やったわ……」
「そうなんですか……」
 当たり障りのない返事を返す。
 だが、二年前に彼らが関わった人々が多少報われたらしいことが判り、重荷が除かれた気がする。
 養父があのような非道に関わっていたかもしれない、というのは彼らにとってかなり胸の閊えだったのだ。
「せやから、こっそり入るで。まあ監視もされてへんから心配ないと思うけど」
 兄弟の気持ちも知らず、四郎は悪戯っぽく笑った。

 当時激しく燃え上がっていた塀は、既にきちんと修復されていた。
 鉄製の門扉に刻まれた、燃え盛る翼の生えた隕石の紋章。既に見慣れたそれに、四郎が片手を触れさせた。
 がこん、と音がして、門扉が開く。
「ここ、今は封鎖設定になっとるから。ワシ以外は、外から開けられへん。うっかり一人で外に出るんやないで」
 注意を与えつつ、まっすぐ玄関へと向かう。同じ要領で扉を開いた。
 差しこむ光の帯の中に、盛大に埃が舞う。
 通路に何箇所も張っている蜘蛛の巣に顔をしかめながら、半地下の倉庫へと進んだ。
 そこは、言うなれば武器庫だった。
 数々の剣・槍・鉾・弓やクロスボウ、杖などが壁にずらりと掛けられている。
 兄弟が感心して入り口周辺を眺めている間に、四郎はどんどんと奥へ入っていった。
「おぅ、これや、これ」
 軽く腕にかけて持ってきたのは、銀色の鎖帷子だ。
 だが、見たところ流通しているものよりも薄く、しなやかだ。四郎の動きにつれて、まるで絹のように揺れている。
「それは?」
「うちは、結構長い間武器や防具の開発に手間かけてたからな。これは、軽量化と強度の両立がどこまでできるかを試してみてた時のや。一応完成品やけど、量産するにはコストがかかりすぎるんが難点でな」
 改めて持ち上げると、軽い音が響く。
「次郎。その服の下にこれやったら着れるんちゃうか?」
「俺ですか?」
 虚を衝かれて、問い返す。
「全身鎧を着ろとは言わんけど、それだけやったら幾らなんでも心許ないやろ。この先、どんな事態になるか判らんのやから」
 次郎五郎が軽装なのは、確かに鎧の重さに体力がついていかないからだ。理には適っている。
「九十朗も、今のよりも良さそうなもんがあったら、何でも使うてええからな」
 顔だけこちらに向けて、勧められる。苦笑して、九十朗が答えた。
「ありがとうございます。でも、使い慣れたものが一番ですから」
 彼は鎧も剣も、それなりにいいものを使っている。四郎もそれ以上は言ってこなかった。
 とりあえず試着しようかと、次郎五郎が帯を解き始めた時に。
 屋敷の中に、涼やかな呼び鈴が響いた。

 警戒心に満ちた沈黙が降りる。
「……俺が見てきます。門は、内側からなら開くんですよね」
 四郎が頷いた。
「気をつけろよ」
 反射的に、次郎五郎が声をかける。苦笑して、九十朗が歩き出した。
 玄関まで来て、さてどうするかと考える。
 門扉は全面が鉄の板でできている。外を覗くための細い窓はあるが、普段は蓋がされていて、それを開けると中に誰かがいるのが丸判りだ。
 もう一度、呼び鈴が鳴る。
 まあばれても押し入ってくるのは難しいだろう。そう判断して、九十朗は門扉まで進んだ。
 覗き窓を開けると、小さく金属音が響く。
「四郎様? それとも、他の人? お願い、今誰がいるのか教えてちょうだい」
 門の向こう側にいた相手が、縋るように問いかけてきた。

 来客の姿を目にして、四郎が破顔する。
「ヘラーか!」
「ああ、四郎様、ご無事で……!」
 少女が今にも泣き出しそうになる。
「なんやなんや。ワシらは大丈夫やさかい、泣くんやないで」
 わしわしと相手の頭を撫でる。
「申し訳ありませんでした。あの時、私が城塞を離れていなければ……」
 ヘラーの悔悟に、きょとんとした視線を向ける。
「いや、別にそんなん気にせんでええって。むしろ、お前だけでも無事にいてくれてよかった」
 ヘラーは、厳密には組織の一員ではない。その腕を請われて協力してくれていたのだ。あの攻城戦に巻きこまれてしまっていれば、彼らの後悔は更に大きかっただろう。
「でも何で知ってるんや? 連絡がヘラーのとこまで届くシステムにはなってへんかった筈やけど」
「二日前、エルナスからゼイドが来て知らせてくれたんです。エルナスには城塞の兵士が五十人ぐらい脱出してきていて、彼らから知らせるように頼まれたって」
「……そうか」
 全滅ではない。安堵とともに、全ての兵士ではないこと、また彼らが離脱せざるを得なかったという事態に陥っていることが、不安をかきたてる。
「三郎太さんやトゥキたちは?」
 横から、九十朗が尋ねた。
「そう名乗った人たちはいなかったって……」
 ヘラーの言葉に、青年たちの表情が暗くなる。
「別に状況は変わってへん。エルナスに行けば、現場におった人間の話が聞けるだけ、まだ前進しとる。気に病むな。あいつらがそう簡単にくたばるか」
 四郎が断言する。
「それから、これを渡しに」
 ヘラーが、手にしていた籠を無骨なテーブルに置いた。中から布包みを取り出し、そっと広げる。
 その中には、黒光りする拳銃が入っていた。
「完成したんか?」
「はい」
 ヘラーがもう一つ包みを開ける。そちらには、奇妙な虹色に輝く弾丸が幾つか入っていた。
「弾丸の素材には、以前と同様にクリスタルを使用しています。が、それだけでは四郎様の『破壊』に耐えられないために、表面に合金をコーティングしました。これで『破壊』の力を籠めても、弾丸の破裂、暴発は防げます。ですが、発砲した直後にすぐまた籠めると脆くなってしまうので、回路は次に発砲される一つだけに直結しました」
「なるほど。それで、回転式か」
 銃を手に取り、弾倉を開いてみる。その滑らかな動きに満足したらしい。
「ええ。連続で撃っても、一周する間の時間があれば充分自壊は防げます。それから弾丸ですが、論理的には無限に発砲することが可能です。一応、予備も考えて数は多目には作っておきました」
「ん。この短期間でここまでできとるとは思わんかったわ」
 感心したような四郎の言葉に、照れたような笑みを浮かべる。
「エルナスで、アルケスタ様にアドバイスを頂いたんです。ですから試作品を持ってきていましたし、オルビスの家にはそれなりに製作できるだけの設備もありましたから」
 よく見れば、ごまかしているようだが彼女の目の下には薄く隈が伺える。ゼイドが来たという二日前から、頑張ってくれたのだろう。
「おおきに、ヘラー。ワシの希望よりもはるかによぅやってくれた」
 四郎が、壁の下段につくりつけてある棚を開いた。中には、雑多な物体が入っている。
「これは……」
 兄弟には一体何やら判別できなかったが、ヘラーは息を飲んだ。
「今この屋敷には現金を置いてへんさかい、現物で支給になってまうわ。すまんな。使えそうなもんがあったら、何でも持っていってくれ。ワシがエルナスまで行ったら誰かに他の屋敷へ連絡つけて貰うから、そうしたら足りへん分を」
「待って下さい、四郎様」
 慌ててヘラーが遮った。
「まるで、ここでお払い箱みたいじゃないですか。私……」
「そういう訳やない。けど、ワシらは確実にこれから戦いにいくことになる。正直、今後、お前に研究をして貰う必要はないかもしれん」
 初めて聞く、悲観的とも取れるボスの言葉に、彼らは一様に目を見張った。
「何せ、[五人目]と決着つけてしもたら、この先は別に開発とかする必要ないしなぁ」
 しかしのんびりと続けられて、脱力した。
「四郎様!」
 怒ったような、呆れたような、笑ったような顔で、抗議する。
「まあ、とりあえず一旦ここで契約を切ろうや。事が済むまで待っとってくれるんやったらそれはありがたいけど、先が見えん以上強制もできんからなぁ」
 穏やかに笑って、そう告げる。
 僅かに瞳を潤ませ、ヘラーはそれを承諾した。


 陽が陰ってきた街路を進む。
 ヘラーは、エルナスへ続くオルビス塔を下るための通行証も手に入れてきてくれていた。塔の最上階にある魔法石に反応し、最下階まで移動させてくれるものだ。これで、かなりの時間が節約できる。
 魔法石が反応した次の瞬間には、そこはエルナス領だった。冷気が鼻を冷やす。
 滑りやすい街道を歩きながら、四郎が口を開いた。
「城塞の奴らには、ワシだけで話してくる。お前ら、知り合いがおるんやったら、ちょっとそこで待っててくれ」
「え?」
 一緒に会いにいけると思っていた二人が、思わず問い返す。
「俺たちがいると、駄目なんですか?」
「ん……。駄目っちゅうか、な。多分、あいつらはワシらと一緒に行きたがるやろう。けど、それはできん。何でやと思う?」
 質問されて、顔を見合わせた。
「みんなが戦闘に参加できるほど回復していないから?」
「六十点や」
 さらりと評される。ちょっと思い出したことがあって、九十朗が小さく笑みを浮かべた。
「エルナスにおる人数は五十人ばかりや。そいつらを全員連れて行ったりしたら、城塞に着くまでどれぐらい時間がかかるか判るか? 今のワシらは、隊列の乱れやとか全員の食料やとか防寒具やとか、そういうもんを気にかけとるだけの時間はない。少人数でざっくりやるのが一番早い。……けど、それをそのまま突きつける訳にもいかんからな」
 彼らは、何よりもあの城塞の兵士だ。誰一人として街に残りたい訳がない。
 おそらくそれを納得させるのに、四郎は全ての手管を駆使しなくてはならないだろう。
 その場に、連れて行く予定の養い子たちを伴っていくとなると、どうしても兵士たちは複雑な気持ちになる。実力でも戦術でもなく、個人的な理由で選んでいるのではないか、と。
 今ひとつ腑に落ちない様子ではあったが、兄弟は結局四郎の言葉に従った。
 どちらにせよ、兵士たちに会う前にはゼイドに顔を見せなくてはならない。
 この雪国は、日の入りが早い。すっかり暗くなったエルナスの街へ足を踏み入れる。
 ゼイドの家は、細い路地を入ったところにある小さな建物だった。扉を叩くと、さほど待つこともなく開く。
「次郎五郎さん、九十朗さん! いらっしゃると思っていました」
 ほっとしたように、ゼイドは彼らを招き入れる。一緒に入ってきた黒衣の男に、興味深げな視線を向けた。
「ゼイド、こちらは俺たちとヘラーのボスだ。四郎様、彼がゼイドです」
 この場では組織の一員として紹介する。四郎が手を差しのべた。
「今回は、色々と尽力して貰って申し訳ない。[禍津星の翼]、[六枚羽根]の四郎の、心よりの感謝を受けて頂きたい」
「い……いえ、とんでもない」
 気圧されて、少年は慌てて頭を振る。そこで、四郎は真面目な顔を崩して笑った。
「で、急なんやけど、城塞から来たっちゅう奴らに会わせてくれへんやろか」
「え、あ、はい。ちょっと離れた宿にいらっしゃるので。今案内します」
 急いで外套を取ってくる。壁際に寄って場所を空ける兄弟を、不思議そうに見た。
「俺たちはここで待たせて貰っていてもいいかな」
「はい、それは全然。じゃ、ちょっと行ってきますね」
 家の主がいなくなってしまったが、勝手知ったる他人の家という様に、二人は奥へと進んだ。陶製のストーブの上で薬缶が小さな音を立てている。
 椅子に座って、長く伸びをした。
「四郎様が帰ってくるまで、どれぐらいかかると思う?」
 九十朗の言葉に、渋い顔になる。
「トゥキの部下たちだからな……。二時間」
「そこまでかかるかな。俺は一時間ぐらいじゃないかと思う。……賭ける?」
 にやりと笑みを浮かべて、九十朗が誘いかけた。
「お前が俺にもちかけるとか珍しいな」
「ゲームみたいにルールとかコツとかは関係ないんだから、勝率は二人とも一緒だろ」
 確かに。どちらかが当たるか、どちらも外れるかだ。
「いいよ」
「よっし! じゃあ、俺が勝ったらだけど」
 やたらと嬉しそうに、弟は提案する。
「風来坊錬金術師を捕まえたら、好きにさせて貰うぜ」

「……まだ言ってるのか」
 呆れたように次郎五郎が呟く。
「何だよ! こっちは真剣なのに」
 椅子の背にもたれかかり、膨れっ面をする九十朗を見つめる。
「そもそも、それは四郎様が禁じている以上、[一枚羽根]である俺たちが好き勝手できることじゃないだろう」
「いやだからそこを次郎の舌先三寸で何とか」
「何で俺だ」
「だから俺が勝ったらって言ってるだろ」
 更に言い募るのに、小さく溜め息をつく。
「大体お前、言っていることが昨夜の話と……」
 続けて諫めかけて、言葉を切る。
 何かが、引っかかっていた。
「次郎?」
 訝しげに尋ねる九十朗をよそに、ぞくりと背筋が冷える。
「……忘れてた……」
 唇から、小さく言葉が漏れた。
 七日前、城塞が襲撃された日。
 彼らの敵が名乗った時に、トゥキは彼女がエルナスの街にいた、と言っていた。
 正確には、彼らの敵の妹が、だったが。
「どうしたんだよ、次郎」
「錬金術師だ。……エルナスに、一人いる」
「はぁ!?」
 あの時、九十朗と四郎は彼らとは別の場所にいた。トゥキの言葉は聞こえていないだろう。
「何でそういうことを早く言わないんだよ!」
「忘れてたんだって!」
 混乱しているのか、二人が怒鳴り合う。舌打ちして、九十朗が立ち上がった。
「待て!」
 慌てて、次郎五郎がその手を掴んだ。
「どこに行くつもりだ」
「聞くまでもないだろ。あいつを捜しに行くんだよ」
 ぶっきらぼうに答える。
「四郎様の命令に背くつもりか?」
「四郎様は、自分の用事が終わるまで俺たちに待ってろって言っただけだ。その間、俺たちに何かをしておけと言った訳じゃない」
「反抗期か」
 言い返して、肩の力を抜いた。
 実際、敵が今でもここにいるかどうかは判らない。が、いたとしたら確実にこちらの情報が敵に流れるだろう。
「判った。だが、見つけても捕まえておくだけにしろよ。処分は指示を仰がないと……」
「甘いよ、次郎。あいつらは、意識を共有してる。俺たちを一目見たら、もうそれは全員が知っていると思った方がいい。俺たちにできるのは、あいつに見つかる前に方をつけてしまうことだ」
 冷徹な言葉に、言い返せない。
「次郎が何と言っても、俺はやるよ」
 まっすぐに宣言するのが、彼の良心だ。
「……判った。その代わり、俺も探す。俺が見つけた場合は、俺の思うようにする。いいな?」
 渋々、九十朗は頷いた。
「あと、もう一つ。一時間後には、見つからなくてもここへ帰ってこい。四郎様が戻ってくるって、お前が予想した時間だ。判ったな?」
 もの凄く嫌そうな顔になる。三時間ぐらいだと言えばよかった、と小さく呟いた。
「じゃあ、行こう」
 弟の手を離す。街路に出ると、無言で彼らは左右に別れた。

「お待たせしました、お二人とも……」
 寒さに頬を赤くして部屋に入ってきたゼイドは、途中で言葉を途切れさせた。
 無人の室内には、陶製のストーブの上で小さく薬缶が鳴る音しかしない。
「どこかに行っちゃったのかな……」
 玄関まで戻って、外の様子を伺う。
「こんばんは。どうしたの?」
 死角から声をかけられて、慌てて振り返った。顔見知りの女性が、細い路地から姿を現した。
「あ、こんばんは。いえ、知り合いが訪ねてくれたんですが、しばらく席を外していたらいなくなっていて」
「あらあら」
 小さく呟いて、彼女は薄く笑った。

 さく、と半ば凍った雪が足の下で音を立てる。
 呼吸が白く変わるのは久しぶりだ。奇妙な懐かしさに苦笑した。
 自覚はなかったが、エルナスの環境に随分と慣れていたらしい。
 何となく足を向けた先は、市場だった。もう店は全て閉められていて、人の気配も全くない。
 広場の中央近くで立ち止まった。何気ない仕草で片手を一振りする。
 細身のナイフが足元に突き立って、彼女は小さく息を飲んだ。
「そろそろ都合がいい場所じゃないかと思うんだが」
 銀色の髪に月光を反射させながら、次郎五郎は告げた。

「……なかなか鋭いのね。普通の人間に私の気配は判らない筈だけど」
 薄暗がりに立つ風来坊錬金術師に、小さく肩を竦める。理由はあるが、口にはしない。
「私の正面に立つのは勇気があるけれど、無謀だわ。もう片方の眼も抉りだして欲しいのかしら?」
 嘲るような口調。
 思えば、初めて会った時からそうだった。
 予想が外れなくて、小さく喉の奥で笑い声を立てる。
「……何がおかしいのよ」
 訝しげな声で問い返された。
「いや。ちょっとね」
 左眼の奥が、疼く。
 頬に刻まれた傷痕が熱く燃える。
 だが、それらは全て幻覚だ。とっくに完治して、自分は既に闘える身体に戻っている。
 恨みはない。
 悲しみも、ない。
 ただ。
「ちょっと、俺も、たまには自分の為に怒ってもいいのかな、と思ったんだ」
 そして太刀を抜き放ち、切っ先をまっすぐ敵へと向けた。

 侮られているのだろう、と思う。
 少なくとも、九十朗よりは相手取りやすいとは思われている。
 錬金術師のマントが、揺れた。
 殆ど音も立てず、小さな物体が放たれる。
 次の瞬間、きん、と鋭い金属音と共に、少し離れた場所の雪に何かがめりこんだ。
 錬金術師は僅かに顔色を変えたようだった。
 油断せず、再び剣を構える。
 二度目の飛礫も、弾き飛ばすことができた。
 予想が当たって、内心ほっとする。
 二年前、この傷を受けた時、錬金術師は視線を向けた先にいた。
 攻撃手段があるのなら、それは直線的なものだ。
 また、武器は最後まで見つからなかったが、おそらくは金属質の、表面をわざとごつごつとさせたものだろうと予測されていた。その方が、傷痕が荒れ、毒が体内へ入りやすいからだ。
 その条件で正面から渡り合うのであれば、充分勝機はある。
 まして今の自分は充分に予想を立て、技を磨き、そしてこの太刀を手にしているのだから。
 不利を感じたのか、錬金術師の身体が揺れる。
「お前は俺の正面には立てないのか? 酷い臆病者なんだな」
 だが、一声かけるとその動きは止まった。敵意に満ちた視線で見返してくる。
 死角へ入られるのは避けたい。
 太刀の先端がゆらりと動いた。来る。


 街外れにまで出てきてしまって、九十朗は足を止めた。渋面を作り、今後のことを思案する。
 このまま捜索範囲を街の外まで広げていては、とても手が回らない。まして、一時間で戻れるかどうか。
 悩んでいたのは僅かな時間で、結局彼は踵を返した。もう少し違う方向へ行ってみよう。
「お? 九十朗?」
 早足で歩いていたのが、ぎくりとして止まる。
 宿屋の入口に吊るされたランタンの光に照らされて、煙草を咥えた養父が手を上げていた。

「四郎様……。もう終わったんですか?」
 後ろめたさを悟られないように、できるかぎり自然に声をかける。
「ん。大方はな。後は細かいところを詰めるんやけど、その前にちょっと休憩や」
 時間は大体、四郎がゼイドの家を出てから半時間ちょっと過ぎた辺りである。
「早かったですね」
 九十朗の言葉に、四郎が胸を張る。
「あいつらが、ワシの言葉に従わん訳がないやろ。宥め賺し泣き落としと一通りやったがな」
「……俺、時々四郎様を尊敬してていいのかどうか不安になりますよ」
 四郎がにやりと笑って、九十朗の頭を掴む。
 勿論、全て判って言い合っていることだ。九十朗は、兄のような堅苦しさは少ない。
「そんで、お前はなんでここにおるん?」
 ひとしきりいじった後で、四郎が尋ねた。そう訊かれることは予測していたが、上手い返し方を思いつかない。
「え、あ、その、ちょっと散歩を」
「散歩? こんな時間にか?」
「いや気分転換をしたくて」
「それに、ゼイドはお前らに夕飯を振舞うんやって張り切って帰っていきよったで。時間的にまだ食べてへんやろ」
「ええと……」
 もう一度、にやりと笑みを浮かべて、四郎はがっしりと九十朗の頭を捕まえた。
「ん?」
 全て判ってやっているのだ。多分。

「ああもう、阿呆か!」
 四郎が罵るのに、後ろめたそうに視線を逸らせる。
「で、お前は奴を見つけてへんのやな?」
「残念ながら」
「残念ちゃうわ! 何でお前らはおとなしゅう待っとけへんのや、全く……」
 大きく溜め息をついて、気持ちを切り替えた。大股で街路へと踏み出す。
「行くで」
「四郎様?」
「早いとこ次郎を見つけなあかん。あいつと遭遇しとったら、今度は無事で済むかどうか」
 運が強いにも限度があるしな、と口の中で呟く。
「いやでも四郎様まだ話し合いが途中なんじゃ」
「待たせとけ!」
 ざく、と雪を踏みしだきながら、言い捨てた。
「……そもそも、錬金術師が城塞を攻めてきた時から、とっくに拠点には連絡して『妹たち』の捜索は始めとった。全部の街とはいかんけど、そこそこの情報網はあるさかいな。せやけど、扉が使える状態やった四日間、一人として見つけたっちゅう報告は来とらへん。完全に逃げおおせとるんや」
 とりあえず、ゼイドの家の前で別れたので、そこまでは戻ることにする。その間、四郎は今までの錬金術師への対処について説明していた。
 手近にいた仇をつけ狙うしか頭になかった自分を、僅かに恥ずかしく思いながら、九十朗が大人しくそれを聞く。
「今更どうしようもなかったさかい、ワシらがメイプルアイランドからここまで来るんは殊更隠れたりしてへんかった。奴かて、追いかけられとる状態で、そうそう悪さもしづらいやろうとも思ったしな。……せやけど、ここまで自分から餌播くような真似、するつもりはなかったんや」
「……すいません」
 全身鎧に包んだ身体を小さくして、呟く。
「とにかく、次郎や。あいつになんかあったら、お前、後悔せんで済むんか?」
 四郎の言葉に、背筋が凍る。
 普段過保護だ過保護だと言ってはいるが、それでも養父は子供たちの実力を認めていた。なのにここまで一方的に兄を心配するということは、それだけ風来坊錬金術師の力を脅威と見ているのだ。
 焦りに、唇を噛む。
 もうすぐゼイドの家に着く、というところで、前方の夜空が激しく光った。


 七発目と八発目は間を置かずに放たれていたが、それでも何とか次郎五郎はそれを防いだ。
「……やるじゃないの」
 焦りが僅かに滲む声で呟かれる。
「当たらなければ意味がない攻撃だな。また毒でも塗ってあるのか?」
 嘲るような口調で告げた。
「どんな毒だ? 二年前のように傷口から腐敗させるのか? それとも神経を麻痺させるのか?」
 次郎五郎の言葉に、僅かに眉を寄せる。
「貴方……」
 言葉の途中で、膝が折れた。小柄な身体が、路面に崩れ落ちる。
「な……ん……」
「やっと、か。結構時間がかかったな」
 呟いて、構えを解いた。
 だが、まだ警戒は止めない。ゆっくりと近づくいていくのを、錬金術師は焦点が合わないであろう視界で何とか見上げている。
「あまり動くな。毒が回るだけだ」
「いつ……」
 言葉も、もうはっきりとは発することができない。
 そう悟った途端、彼女はきっぱりと方針を転換した。
 動かし辛い手を何とか持ち上げ、掌の中の何かを地面に叩きつける。
 瞬間、乳白色の閃光が周囲を制圧した。

「……ッ!」
 鋭く息を飲み、眼を閉じる。
 手で眼を庇うことはしない。瞼の裏ですら判るほどの強い光に晒されながら、両手は再び剣を構えていた。
 動きはない。
 数秒、そのまま様子を伺っていると、ゆっくりと光は薄れていく。
 横手から物音が聞こえて、反射的にそちらへ顔を向けた。
「次郎っ!」
 聞き覚えのある声に、眼を眇める。
「九十朗……か?」
 しかしまだ視界は回復していない。
 そちらへ向き直ろうとしてふらつき、膝をついた。刀まで落としてしまい、反射的に手を伸ばしかけて躊躇う。手袋をしているとはいえ、抜き身の刀を手探りで掴むのは流石に怯む。
「次郎……、眼が……?」
 しかし彼の行動をどう受け取られたのか、掠れた声で問いかけられた。
「え? ああ、ちょっと光に眩んだだけだ。じきに見えるようになるよ」
 何を気にしているのかを悟って、苦笑する。
 事実、視界の中に九十朗らしき人影が判別できるようになっていた。
「それより、錬金術師は? 先刻まで近くにいたんだが」
「……いや。俺たち以外には誰もいないよ」
 固い声で告げられた。半ば予想はしていたが、はっきりと判ると苛立たしい。
 そこへ、また新たな人影が現れた。
「無事なんやな?」
「四郎様?」
 きょとんとして、名前を呼ぶ。
「錬金術師と会うたんか? で、また無事やった?」
「あ、はい」
 頷くと、大きな溜め息が聞こえた。
「また、か? 三回目やないか。それだけ幸運が続くとか、どういう訳や」
「初めて会った時に、一生分の代償を払ったんじゃないですかね。……それに、今回無事だったのは、俺が幸運だったからじゃないですよ」
 ようやく周囲が見えてきた。傍らに跪き、心配そうに見つめる九十朗に笑いかけ、刀を拾い上げた。
「これ。この刀がどういうものなのか、四郎様は知ってたんでしょう?」

「……具体的にどういうもんなんかは知らん。使うたことないしな」
 養父はしれっと嘯く。
「そうですか。……俺が変だと思ったのは、街に出てからです」
 ある程度歩いたところで、刀から妙な振動が感じられたのだ。
 かたかたと、鞘と触れあって小さな音を立ててさえいる。
 適当に進んだり、時には引き返したりして判ったのは、それが何かに反応しているということと、その何かは後ろからついてきているということ。
 この場合、『何か』が自分の敵と無関係だとは考えづらかった。
「マンジさんから受け取った、〈剣聖〉の祝福を受けた剣。俺にこれを持たせたかったのは、この剣が[五人目]に何らかの反応を示すからじゃないんですか?」
「八十点」
 そう告げて、四郎はにやりと笑った。
「[五人目]の関係するもんに反応するんやったら、四六時中ワシに反応せんかったらおかしいやろ。そいつは、[五人目]の関係者の、『悪意』に反応する。もしワシが、今、お前に対して殺意でも持ったら、即座にワシの喉笛をかっ切るやろうな」
 物騒なことをさらりと言ってのける。
 しかし、おかげで錬金術師の攻撃に対して、いつもよりも反応が鋭く対処できたのだ。
 まあその動きが上手く働くかどうかは、実際一か八かの賭けだったのは否定できないが。
「で、後をつけられてたんか?」
「ええ。もう見つかっていたのだから、生け捕りにしようと思ったんですが。逃げられました」
 視線を、風来坊錬金術師が蹲っていた場所へ向ける。そこに人がいた痕跡はあるが、当人の姿はなかった。
 九十朗が視線を追って、その場所に近づきかけた。
「よせ。そこにはポイズンミストをかけてある」
 が、次郎五郎の言葉に凍りつく。
 一番最初に、錬金術師の足元へ投げた、ナイフ。その時に発動させたポイズンミストは、ごく弱く、じわじわと彼女の力を奪っていった。
 まあ、長時間そこにいなければ大丈夫なのだが。何よりもそれは術者には無効だ。次郎五郎が立ち上がり、ナイフを回収する。
「あと、錬金術師の攻撃を防いでいたんですが、飛礫が八発、広場の中に転がってると思います。多分、毒が使ってある」
「厄介な奴やな……。どっちにしろそろそろ戻らんといかんさかい、宿に着いたらプリーストを何人か寄越すわ。あいつらなら中和できるやろうし、それができんかっても対処の仕方は判っとるやろ。お前らはそれまでここに人を入れへんように気をつけておいてくれ」
「はい」
「後は回収から任せてええから、ゼイドのとこへ戻れ。飯作ってくれとるらしい。友情を無にしたらあかんで」
「でも、そういう場合じゃ……」
 ちょっと反論しかける。錬金術師の武器は、脅威だ。人手はあった方がいい。
「ええから。後つけられてるんなら、ゼイドがお前らの関係者やって知られとってもおかしいないやろ」
 が、続けて告げられて、その可能性に怯む。
「九十朗、先に戻ってくれ。俺も、後から行くから」
「判った」
 無駄な事は言わず、すぐに走り出す。その後を、四郎も歩き出した。
 十数分前とはうって変わって、不安げな表情で次郎五郎は鞘に戻した刀を握っていた。

 がんがんと叩く音に応じて、扉が開く。
「九十朗さん? どうしたんですか」
 いきなりいなくなったと思えばこの状況だ。不審そうに、ゼイドが問いかける。
「無事か? 俺たちがいない間に、変なヤツとか来なかったか?」
 変な、やつ。小首を傾げて考える。
「いいえ」
 少年の返事に、九十朗はほっとした顔になった。
「とりあえず入ってください。次郎さんは?」
「ああ、ちょっと用事があって。しばらくしたら戻るよ」
 暖かな家の中へ招き入れられる。少しばかり機嫌を悪くしていたゼイドの文句を、苦笑いしながら九十朗は聞いていた。

 次郎五郎が戻ってきたのは、十数分後。四郎がゼイドの家に姿を見せたのは、更に一時間ほどしてからだった。
「待たせてすまんな。出るで」
 軽く告げた言葉に、ゼイドが慌てる。
「泊まっていって貰っても大丈夫なんですが」
「ああ、いや、遠慮しとる訳やない。時間がないんや。ちょっとでも距離を稼ぎたい。ほんまに、お前さんにはありがたいと思うてる。こいつら放っておいたら、何するか判らへんしな」
 じろりと睨まれて、兄弟が視線を外した。
 気をつけて、という短い言葉を背に、三人は街を離れる。
 月光に照らされて凍りついた道は、そびえ立つ山へと続いていた。

 
2011/04/10 マキッシュ